にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ Somewhere but Here: September 2007

Friday 28 September 2007

遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (8)


レストランを探すことについて


せっかくコートダジュールに来たのだから、海の幸をフランス料理で味わおうとするのが人情。我々も夕食のレストランを探しに再び街に繰り出す。

別に私はグルメでもないけれど、レストランを探すときには、いくつかのポイントがある。


ホテルの人にお勧めをきいてみる。
そこそこ人が入っている店であること
日本語のWEBで紹介されていないところ

特に最後は大事。
昨年パリに日本語のWEBで紹介されていたあるルーブル美術館近くの喫茶店によったら店の中の三分の二が日本人観光客だったというおぞましい経験(しかもWEBで勧めていた品もおぞましい味のものだった)もしたし、同じ旅行で日本のWEB紹介記事をみて家内の誕生日祝いディナーのために予約を入れたレストランでもひどい目にあった。

それ以来、食事処をあらかじめに調べる場合は、絶対に日本語のWEBは覗かないことに決めている。
だいたい素人が一回いっただけのところを「おいしい」とレポートしたくらいで本当においしいことを期待する方がどうかしているのだ。私がバカだった。決して一、二辺旅行にいっただけの東洋人の戯言に耳を傾けてはいけないのだ。

誰かにお勧めを聞くのであれば、地元の人に限る。そりゃ地元の人に聞けば、地元の人の舌にあった店を紹介してくるけど、それはそれでいいと思っている。何も異国の地までいって日本人の舌にあうようなものを選ぶ必要はない、そんなものなら銀座に星の数ほどある。

ということでとあるカジュアルなレストランに入る。

私はムール貝の蒸したものと、プロヴァンス風リブロース(私はご当地風という言葉に弱いのだ)、家内はグリーンサラダとエスカルゴ、それにペッパーソースで煮込んだイカを注文し、コート・ド・プロヴァンスと呼ばれるロゼワインを頼む。


料理もさることながら、ウェイターのサービスの質の高さ(平均値として)では世界中でフランスが群を抜いていると私は密かに思っている。

彼らは常に店全体に注意を向けて次に自分が何をすべきかを即決し行動する。しかしそこには、日本人のように「忙しさ」をにじみだした神経質なところはなく、あくまでもスマイルですべてをこなす。このときも私が料理の写真をとっていたら「ふたりがおそろいのところを撮ってあげましょうか?」とオファーしてきた。よく気がきくものだと感心することしきりである。

我々はメインディッシュの後、コーヒーもデザートも食べないことを常としている。今回もその調子で支払をすませて、ホテルに戻る。一日目が無事終了する。

遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (7)




バスは丘の頂上で10分間の休憩をとる。10分間の休憩では写真を撮るくらいの時間しかない。
運転手に聞くと「別に次のバスが30分から45分くらいしたらくるからそっちに乗ってもいいよ」とのこと。

 展望台から海岸線を見下ろしてみる。まさにガイドブック通りの風景が眼前に広がる。

そこでまた簡単なスケッチをとる。

小高い丘のわりには風は強くなく、カモメもゆったりと風に身をまかせて飛んでいく。
コートダジュール(青い海岸)の名に恥ないくらいに、海はコバルトブルーとエメラルドグリーンに輝いている。そして波と海岸線が白く光る。その楕円形に光る白い波と砂を取り囲むように今度は赤茶色の家々の屋根がならぶ。

すばらしい色のコントラストに息をのんでしまう。青と白と赤、まさにフランス三色旗だ。


スケッチを終えて、しばらくコーヒーを飲んで休憩をした後、またバスにのって元の海岸通りに戻る。時間は3時を過ぎたところ。いくらなんでも夕食にも早いのでもう一度今度は旧市街を歩いて散策してみる。




復活祭休日ということもありチョコレート屋では巨大な卵型のチョコレートが売られている。アロマの専門店がある。おみやげ物屋は無数にあり、プロヴァンス地方らしい絵柄のエプロンやら食器やらが陳列されている。




「花の市場」と云われる花屋が集まっている一角を通ると心地よい香りが鼻の奥をくすぐる。
「もし日本からいきなりここに来たら、これらの旧市街の一つ一つの風物が感動のネタになるんだろうな。」などと家内と話をしながら、店を通り過ぎる。そう、我々はバルセロナでこんな風景をよくみかけることがあるから、ある意味慣れっこになっているんだな。

「花の市場」の一角にあるカフェバーでちょっと休憩をする。このカフェバーはラテン諸国にあるバーの典型的なタイプで、店の表にイスとテーブルとパラソルをだしていてそこで飲食ができるようにもなっている。
我々は表で飲み食いする方が室内より2割程度高いことを知っているので、店内でも光が差し込む場所に陣取ってビールを注文する。

ビールは程よく冷えている。外気の気温の高さと適度の運動、そしてビールが適度に冷えてさえいれば、どこのどんなヤクザなビールでもおいしいものである。

しっかし・・・問題は値段・・・・ビール一杯6ユーロ(900円)はボッタクリじゃないかな。バルセロナだと高いところでもせいぜい3ユーロ(450円)よ・・・。

まあそれでもその高価な一杯のビールをちびちびと飲んだ後、またしても海岸線を散歩する。

おそらくこの街は、夏の海水浴のほかには、海岸線の散歩とおみやげ物ショッピング、そしてフランス海鮮料理を食べること以外にやれることはあまりないようにも思われる。
もっとも、それだけでゆうに一週間過ごすのはヨーロッパ人にとっては可能だが、アチコチ行ってたくさん写真を撮りたい日本人にとっては2日が限度かもしれない。


今度は海岸通りからさらに海岸へと降りてみる。海岸は実は砂浜ではなく、白い砂利であることがこのときわかる。家内は「記念に」ということで海岸の丸い石を集め始める。

それにしても、こんなものを持ち帰ってどうするんだろうか。とかく人間は集めることが好きな動物である。

そうこうするうちに自分では持ちきれなくなり、私に応援を頼む。結局私のポケットいっぱいに砂利をつめて(このまんま、おれを海に沈める気じゃないだろうな)いったんホテルに戻ることにする。

外国語に関するいろいろ

こちらのブログでは、おもに紀行文を中心に書いているわけですが、外国語の勉強方法などについては、別のブログに書いています。

40歳からの外国語

http://40yearslanguage.blogspot.com/

私は「語学なんて所詮ツール」という考えを持っています。だからある目的にたいして、必要最小限の語学力を身につければそれでオーケーだと考えています。でも、巷にあふれる本や教材はいずれもその語学に関する大家。もっとぶっちゃけていうと「語学オタク」が書いているものです。
でも、それを全部やろうとするとものすごく大変で、結局みんなそこで語学習得を挫折してしまう。なんて持った無いことでしょうか。

そう思って書き綴ったものです。

実際に語学習得したい人のうち、翻訳・通訳者になりたい人はその中の10%程度で残りの90%は必要にせまられて言葉をおぼえなければいけない人だと思います。
そういう方々のためにお役立てればいいなと思っています。


よろしければ、どうぞ。

Thursday 27 September 2007

遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (6)

ニース(Nice)




ニースには午後1時に到着してしまう。


  市内に入ると、驚くばかり数の車が椰子の木ならぶ通りにひしめいている。車のナンバーもイギリス、イタリア、スイス、などさまざまだ。  海岸沿いのホテルを予約したが、事前に駐車場はないといわれていたので、ホテルの近くの駐車場に車をいれて、荷物を取り出す。


    ところがチェックインをしようとしたところ、そのホテルは予約したホテルと同系列だが別のホテルであることが判明。スーツケースをころがしながら、500m先の予約したホテルまで歩く。気温は20度を超えており、冬物のジャケットではちょっと暑い。


  ホテルにチェックインして、さっそくビーチへ。といっても4月のこの時期に海水浴をするわけではない。









  観光客もみんな海岸沿いの歩道をのんびりと散歩をしている。我々もそれに右へならえする。   はずかしい話だが、私はニースというとパンフレットにでてくるちょっと高台から撮った海岸の写真のイメージしか持ち合わせていない。

  だからニースについたものの、何をしていいのかさっぱりわからない・・・。


  こういうときは、自分であれこれ考えるより、お仕着せのものを利用するのが一番である。そこで、海岸通りを歩いている我々の目の前に止まった列車の形をした観光用バス(?)に乗ることにする。  一人6.5ユーロ(1000円)の料金を払い、バスの後ろの方のあいている席にすわる。観光バスはすぐに出発し、ニースの旧市街地の狭い路地をくねくねと通過していく。






  海岸線の長さにくらべて町の作りは小さいように思える。

  そしてやたらと道路工事をしている。来る夏に向けて道路を整備しているのであろう。


  旧市街を一周すると今度は、町の東側にある小高い丘をバスは登り始める。登るに従って木々の間から見えてくる海岸線がどんどの上にせりあがっていく。

遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (5)

高速道路にてふたたびA8高速道路へと戻る。  




フランス・イタリア・スペインの高速道路は日本と同じように有料だ。だからポイントポイントで料金所があり、そこでチケットをとったり、高速料金を払ったりしなければならない。



  そして日本と同様にETCのような自動料金徴収システムと昔ながらのマニュアル徴収が併存している。

  マニュアル徴収の中には半自動とでもいうべきか、人の手を使わないように工夫をこらしたものもある。


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機械の前に大きなかごのようなものがあって、そこにコインを放り込むしくみになっているものなんかは見た目にも面白い。ちゃんとおつりもでるようになっている。



  使った感じは、料金を払うというよりも乞食か大道芸人にお金をあげるといった感じに近いのがおかしみを誘う。



  素人がみても、どういう構造になっているかがわかるようなシンプルな構造だ。銀行のATMの硬貨を預け入れる構造とほぼ同じだろう。こんなものでも、無理にETCを導入しなくても人件費がちゃんと削減できる。



  人を減らすしくみなんて本当はすごく簡単なんだけど、いろいろな事情をこじつけてわざとそういうものはつくらないんじゃないかなと思うときがある。

Saturday 15 September 2007

遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (4)

  白い花をつけた麦畑の横を胡桃の木の並木道が見る者の視線を奥へと引き付ける。その向こうには青緑がかった森、さらにその奥にサンヴィクトール山が朝の光をあびてまどろんでいるかのような表情をみせている。






  笑ってしまうほど完璧な構図だ。




  本当ならここでイーゼルをすえて、2,3時間油絵を描きたいところだが、そこは絵を描かない家内との旅行なので、7分くらいで簡単な水彩スケッチをするだけにとどめる。やはり絵を描かない人との旅行で絵を描くのは基本的にはご法度だ。長い間連れ合いを放っておくのは、夫婦喧嘩のモトである。そして夫婦喧嘩になった場合に、こちらには勝ち目がない。勝ち目がない戦いはしないというのは、幸せに生きるための万国共通のコツだ。夫婦喧嘩から国家間闘争までなんら異なるところはない。







   そういうことで今回の旅行でも、この絵を含めて3枚、しかもはがきサイズの小さいものを描いただけである。 これも家にもどれば、数日中に家内の友人へ送る絵葉書として手元には残らないという運命をたどるのではあるが・・・。  





   サンヴィクトール山は、山というよりは隆起した岩の塊のようなもので、そのむき出しの岩肌は、太陽の動きにしたがって、不規則な影をつくっていく。  春のやわらかな日差しの中ではやさしい表情を、夏や冬の強い日差しの中では厳しい表情をする。そこがかの画家セザンヌを魅了したところではないだろうかなどとと考えながらスケッチをしていく。  





   スケッチの間、聞こえてくるのは梢を通り過ぎるやわらかな風の音だけである。  





   スケッチを終えて、ふと横をみるとなだらかな丘にブドウ畑が広がり、その向こうに農家が見える。そしてそこからは何かを燃やしているのだろうか、煙がゆらゆらと立ち昇っている。





    優しいひざしの中で、100年前にタイムスリップしたような感覚をおぼえる。セザンヌも同じ空気を吸い、同じ光を浴びながらヴィクトール山を描いたのであろうか。










  春は人知れずやってきて、人知れず去っていく。

Friday 14 September 2007

遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (3)

 朝9時には、アルル(Arles)を通過する。



  ここまで渋滞に巻き込まれることもなく順調、いやむしろ早すぎるくらいのペースで運転をしている。 ガソリンスタンドでコーヒー休憩をしたときにカーナビの目的地設定をサン・ビクトール山(Montagne Sainte-Victoire)に設定しなおす。 



  サン・ビクトール山は印象派の代表的画家であるセザンヌが愛した山である。 おそらく世界中のほとんどの人々はこの山を彼の絵を通してでしか知らないのではないだろうか。特別に高いという山でもない、はっきりいってしまうと地味な山である。 しかし、趣味とはいえ油絵を描く人間がこのフランス後期印象派の聖地とでもいうべき山を見ずして通り過ぎるわけにもいかない。 地図を読みながら目的地を決める。



  当たり前の話だが、山の山頂をカーナビの目標にしては、山は見えない。 到着する時間の太陽の位置や地図上のまわりの標高関係をかんがえながら注意深く目標地点を決める。そして山の南側のふもとにある小さな村を目的とすることにする。



  エクサンプロヴァンスで高速道路を下りて、一般道路に入る。プロヴァンスのど真ん中の農道を車は走る。 雲一点ない空は、強劣なコバルトブルーではなく、むしろしっとりとしたやわらかな大気を含んだセルリアンブルーに輝く。 




  この季節はブドウの裸木が小高い丘の表面を覆っていて一見そっけなく感じる一方で、雑木林の木々は新芽を吹き出し明るい黄緑の葉をつけ始めている。




  強烈な黄色の絨毯を敷き詰めたような菜花畑がときおり広がる。そしてところどころにテラコッタ(素焼)色の農家が風景にアクセントを添える。山が序々に大きくなってくる。道はせまくなってくる。カーナビで設定した目的地より1kmくらい手前で車を止めるスペースをみつけてそこで車を止める。

Wednesday 12 September 2007

遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (2)

 カーナビの指示に従って、AP-7号線をひたすら東へと進む。 





  今日の宿泊地はニース(Nice)。途中エクサンプロヴァンス(Aix-en-provance)にあるサン・ビクトール山(Montagne Sainte-Victoire)に立ち寄れればラッキーかなという計画である。 





  朝のこんな早い時間に高速道路を走っている車は、だいたい貨物輸送用のトラックである。一般車はほとんど走っていない。 
  いくら翌日から復活祭休日で渋滞が予想されるかららといって、こんな時間から移動を開始するのは日本人くらいのものなのだろう。ひょっとして我が家だけかもしれない。 
  欧州の高速道路にはほとんど街灯らしいものはないため、日本人の目には異様に暗く感じる。車のヘッドランプだけがたよりである。小雨がフロントガラスにあたり、微生物のような動きをとりながら後方へと流れていく。
  車を運転する人はわかると思うが、ヘッドランプだけがたよりだと視界が非常に狭くなる。しかもスピードがでているからなおさらだ。 こういう状態でのドライブは非常に危険だし、疲労を伴うものだ。 





  もともと運転が苦手な私は当然のこと、運転が好きな家内ですら短時間で疲労を感じているようだ。そこでわれわれは1時間から1時間半くらいのインターバルで運転を交代し、それぞれが助手席で仮眠をとりながら東に向かい、ひたすら夜明けを待つ。 





  これじゃまるで長距離トラックドライバーだな。 

  スペイン国境を超えたところで小雨はやみ、さらにモンペリエ(Montpellier)を過ぎたあたりで辺りが徐々に明るくなっていく。 






  フランスの空はその日一日が雲一点のない青空であることを約束していた。

Tuesday 11 September 2007

遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (1)

2007年4月5日

「朝よ。もう起きなきゃ」

家内の声に驚き、目をこすりながらベッドの左横にある目覚まし時計をのぞきこむ。

3時10分。

もう一度、目をこする。

やはり3時10分。

「だって、今日は朝早く出発するっていうから、昨日は早く寝たんでしょ!」

たしかに昨日はそういうことで、夜11時にベッドに入ったが・・・まさかこんな時間に起こされるとは・・・

今日は2007年4月5日木曜日、ヨーロッパの復活祭休みに一日くっつけて4泊5日で家内とイタリア・フランスを旅行する初日だ。

それにしても、3時とは・・・・まだ眠いがかといって、ベッドでぐずぐずするわけにもいかない。

ため息をつきながら顔を洗い、髭をそる。そして髭そりと歯ブラシ、コンタクト洗浄液をスーツケースにつめて最終の出発準備を終わらせる。

地下のガレージにおりて、スーツケース大小3個のスーツケースを車のトランクに詰め込む。ひんやりとしたガレージの中では、我々の荷物を積み込む音と、ほんの少しの会話だけが響く。私は助手席に座り、カーナビで今日の最終目的地を入力し、カーナビをフロントガラスに据え付けて、ついでにiPodをつなぐ。

日本と違い、カーナビは着脱式のものがポピュラーだ。
だから、車を離れるたびに取り外してみえないところに保管しておくものなのである。
カーナビをつけたまま一時間も車を放置しておけば、間違いなくガラス窓をやぶられてカーナビは盗まれる。カーナビとはヨーロッパではそういうものなのだ。

高速道路のサービスエリア、ひどいときにはガソリンスタンドで車から離れる時もかならずカーナビはとりはずして、トランクにいれなければならない。ちょっとこれは面倒なことではある。そういうことで、カーナビを使うときはいちいち電源ケーブルだとか、窓にカーナビをつけるアジャスターの調整だとかとやたら準備に時間がかかる。

カーナビの操作になれていない、そしてなれようともしない家内はいつも最初、運転席に陣取り、私は助手席でカーナビの設置作業をするのである。

ガレージのドアを開けて外へでたのはちょうど4時。外は晴れているのか今にも雨が降りそうなくらい雨雲が覆っているのかのかわからないくらいに暗い。

Saturday 1 September 2007

River Danube in August 20. (8月20日のドナウ川)Part 12

8月20日の晩餐


実は、この日は家内の誕生日ということで2か月まえからヴァロドーサというハンガリーで一番、二番クラスのレストランを予約していた。しかしそのまったく同時刻にドナウ川岸で盛大な花火大会があることをブダペストに到着して知った。



我々は、どちらにいこうかレストランをキャンセルしようかと最後の最後まで迷っていた。
苦渋の決断というほどでもないが、我々はレストランに行くことにする。なぜそう決めたかはちょっと思い出せない。二者択一の選択を長い間考えていると、考えるプロセスが混乱して、最後のちょっとしたささいなきっかけで決定してしまう。そんな感じの決定の仕方だったと思う。
それなりの服装をして、ホテルをでる。そのレストランはホテルから5kmほど離れた高級住宅街にあるのではやめにホテルをでることにした。

ところが着替えをすませてロビーに降りてくると、


どしゃぶりの雨・・・・

さっきまであれほど晴れていたのに、天候がものすごく不順である。でも、ある意味天気予報はあってる・・・。

ということで花火大会になんの未練もなくレストランにいくことになる。

しかし、突然の豪雨でホテルの入り口は一時の雨宿りの観光客であふれている。ホテルにタクシーを頼むと、「今日はこのあたりは通行規制でタクシーが入ってこれないんだよ。」ということで何度かタクシー会社に電話をしてもらったが、応答なし。
しかたなくどしゃぶりの雨の中を、流しのタクシーをつかまえるために街に出ていく羽目になる。 ガイドブックには流しのタクシーは使うなと書いてあるけど、そんなこともいってられない。


通行規制の外側まで10分ほど我々は歩いて、運よくタクシーをつかまえることができた。

タクシーに乗り込んで、運転手に住所をつげると、「うん、その場所は知ってるよ、レストランだよね。」という心強い返事が返ってきた。
そして、わさわざ地図をみせながら、「今日は、この橋とこの橋が通行止めだからかなり大周りしないといけないんだ。料金は高くなるけどいいかな?」といってくる。正直で親切な運転手である。

豪雨のために暗くなった町をタクシーはぬけていく。となりの車からのしぶきが後部座席の窓に直接あたる。この天気の落差はいったい何なんだろう?


出発に30分余裕を持っていたおかげでレストランには予約していた7時丁度に到着する。
親切なタクシーの運転手にはかなりチップをはずんで、奥にあるレストランへと向かう。

レストランといっても、看板がでていないし、市内からは3km以上離れている。ましてあたりはまったくの住宅街である。
これがこの国でいう一番、二番のレストランというのは、日本でいえば、政治家が使う料亭みたいなものだろうか。

http://www.vadrozsa.hu/

実際に、入口には政界や実業界の有名人の写真がかざってあり、なかでも現スペイン国王ホアン・カルロス一世と后妃ソフィアの写真が大きく飾ってあった。

女主人がにこやかに「お待ちしてました」と話しかけ、さっそくダイニングへと案内してくれる。大きなシャンデリアがかざられたダイニングルームには、大小あわせて8つくらいの白いテーブルクロスがかかったテーブルが並んでいる。逆にそれしかテーブルはない。予約が絶対に必要なレストランのようだ。


我々は部屋の中央付近にある4人用のこぶりなテーブルに座る。

部屋の隅にはグランドピアノが置いてあり、いかにも東欧系という感じの太ったピアノマンが座っている。
我々に日本人か中国人かと話かけ、日本人と答えると、さっそく「さくら、さくら」「浜辺の歌」などを弾いてくれた。合間には「Happy birthday to you」を演奏してくれた。これには家内はうれしかったようだ。

メニューについては、事前にウェブでチェックしていたが、ここはひとつシェフのお勧めから選ぶことにした。

前菜は、3種類のフォアグラの盛り合わせ、主菜に、家内はサーモン、私は鴨肉を選ぶ。
フォアグラはフランス料理で有名だが、ここハンガリーも本場らしい。

飲み物には、ハンガリー特産のTokajiワインを頼もうとしたが、女主人は、「Tokajiワインはフォアグラとの相性はいいけど、料理にはあわないわね。前菜のときに、グラスで一杯だしましょうか。」と説明する。たしかにどんな料理とも相性がいいワインではないので、アドバイスに従って、前菜に一杯だけ頼むことにした。あとは、家内が魚を頼んでいたので、ハンガリー産のワインを頼んだ。


その日、我々の客以外は2グループいた。一組は、地元の女性4人組みで、もう一組は、ドイツあたりからの観光客であろう男女5人がドイツ語と英語でちゃんぽんに話をしていた。

外の雨はやんだらしく、遠くからかすかに花火の音が聞こえていた。

さて、主菜を食べ終えたが、なかなかデザートのオーダーを取りに来ない。お腹もかなり膨れているので、この際デザートをパスして、お勘定をしようかと相談をしていたときに、突然部屋の照明が落ちる。

停電かと思ったその瞬間、女主人がろうそくを灯したケーキが家内の目の前に持ってくる。
そしてピアノマンが再びHappy birthday to youを弾き、他のお客もいっしょに歌う。これには家内も感動したように赤面をしていた。うん、酒でよっていただけかもしれないが・・・。

日本人にとっては、かなり大きなケーキではあったが、このバースデーケーキは残してはいけないと、彼女はがんばって平らげだ。おかげで、彼女は翌日昼過ぎまで何も食べたくないということにはなるのだが。

デザートをすませると、すでに3時間が経過していた。お勘定をして、タクシーを呼んでもらう。気になる値段は2人で42,000フォリント、飲物こみでひとり15,000円くらいの話だ。この値段でその国の一番の料理が味わえるのであれば、安い方ではないだろうか。

我々が帰るころには、花火大会も終わり、市内中心部の通行止めも解除されていた。


タクシーの窓越しに見るドナウ川は、国会議事堂のライトアップを水面に映して、安らかな表情をしていた。

往路の三分の一の時間でホテルにたどりつく。



すでに11時近かったし、シャワーをあびてすぐにベッドについた。かくして我々の8月20日、家内にとって何度目かの誕生日は満腹の胃袋をかかえて幕を閉じることになる。