にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ Somewhere but Here: August 2007

Friday 31 August 2007

River Danube in August 20. (8月20日のドナウ川)Part 11

川べりの航空ショー


さて、温泉あがりでさっぱりした気分でエリーザベト橋を歩く。温泉の温度があまり高くなかったので、日本の銭湯帰りのような体が火照るような感覚がない。(この感覚がわかる人も日本ではだんだん減りつつありますね。)

上空から不吉な音を立てながら飛行機が通過していく。ちょうどこのとき、祭りのイベントのひとつとして航空ショーが始まったところなのだ。



数機の小型セスナ機がくさり橋の下を(下ですよ)潜り抜けていく。橋桁と水面の幅が10mもないところを小型機がなんども通過していく。橋の両岸は道路が完全に封鎖され、人々が道端からこのスペクタクルなショーに見とれている。








世界文化遺産を使ってなんとも大胆なことをするものである。日本だったら文化遺産を使ってこんなことは絶対にしないに違いない。

ちなみに、このショーを川べりで見る分には無料である。


それを眺めながら、エリーザベト橋をわたり、ペスト側に戻ると我々は、川岸沿いのトラムの鉄道を歩いてホテル方向へと向かう。



そして空いているテーブルをみつけては、ビールとパプリカ入りのソーセージで遅い昼食をとる。我々の上空をけたたましい音をたててジェット機やセスナ機が通り過ぎていく。





ふと、あしもとのアスファルトをみると奇妙な白いものが散乱しているのに気づく。




近づいてみると、ヒマワリの種の皮である。この国の人はヒマワリの種をおつまみとして食べるのである。


その後我々は市内のショッピング街をのぞいてお土産物をひやかしたあと、ホテルにもどり夕食まで小休止をする。

続く

Thursday 30 August 2007

River Danube in August 20. (8月20日のドナウ川)Part 10

温泉王国ハンガリー


ハンガリーは世界でも有数の温泉天国らしい。実際にブダペスト市内中心だけで11か所、全国では135か所ほど温泉があるのだから、日本の国土の四分の一の国土面積からすれば多いほうだと思う。

我々は、王宮の丘を散策した後この近くにある温泉へとむかうことにした。そのために我々はビーチサンダルと水着をビニール袋にいれて持って歩いていたのだ。

正直私はこの時点で足に疲れがでていたので、王宮の丘を徒歩で降りていく気にならず、ケーブルカーで降りて、一か八かで路線バスに乗ってみた。

ケーブルカー


ちなみにバスには、3つのドアがあったが、どこが入口でどこが出口というのがなく、思い思いのドアから乗客は乗降していた。どうやって料金を徴収しているのかさっぱりわからない。

私は、ここ数年の間にウクライナ、チェコといった旧共産圏を訪れたことがあるが、そこで気がつくのは、公共交通機関の乗り物の古さである。ベルリンの壁がなくなってからもう20年近く経とうとしているご時世にである。





これらの国では、日本車やドイツ車などを普通にみかけることができるので、一見西欧諸国と変わらないに思えるが、バスやトラム(市街電車)をみると一発で旧共産圏の国であることがわかってしまう。すでにあるインフラを変えていくのは、その国の事業リストでかなり低いところにあるのだろう。

ブダペストのトラム(市街電車)



ハンガリーも例外ではなく、我々が乗ったバスは、窓のガラスがとれかかっているかのように隙間だらけだったし、エンジン音も40年前の車のような音を響かせていた。

丁度うまい具合にバスは願っている方向に運転してくれたので、来たときに通ったエリーザベト橋の袂近辺でバスをおりる。
そこから5分ほど歩くと、ルカーシ温泉がある。
近くでみると普通のピンクの壁の建物だが、遠くからこの建物をみると後ろの切り立った崖が日本の温泉を彷彿させてくれる。



さて、温泉の建物に入ったのが、昼の12時。受付の女性は「今日は2時で閉めるから、1時までには風呂からでてもらわなきゃいけないけど、いい?」と聞いてきた。我々は二人とも長風呂をする性格でもないので、1時間も温泉につかれば充分ということで料金を払って、入浴することにした。

ちなみにここの温泉は、週末・祝日は混浴のため水着着用、火曜日は女性のみ入浴、残りの日は男性専用とのことである。普段は朝6時から夕方の5時くらいまで営業している。
温泉につかりにくる人は事前に確認したほうがいい。


水着姿になって温泉にいってみると、中は小さい窓から外光を取り込んでいるのがメインの光源なので暗い感じがする。湯気こそ立ち上っていないが、硫黄の匂いが鼻を刺激する。うすぐらい空間の中で中央に直径10mの浴場があり、それを取り囲む様に4つの風呂があった。大きな浴場部分の風呂の温度は37度、小さい風呂は、それぞれ28度、30度、32度、42度という異なる温度設定になっている。日本の温泉より若干温度が低いというイメージだ。

15人近くの男女が温泉にはいっていたが、みんな静かである。風呂にはいりながら、新聞やペーパーバックを読んでいる人までいる。しかし、石造りの建物の構造上、小さな音でも非常に大きく響くので、静寂さは感じない。こんなところにスペイン人団体が入ってきたら、うるさくて仕方ないだろうなと勝手な想像をしながらボンヤリと温泉を楽しむ。朝の散歩の疲れもここで癒される。

店からレンタルしたベッドシーツのような感触の白いタオルで全身の水気をきって湯船(?)からでる。

はじめにこのタオルを渡されたときは、こんなので拭くのかとビックリしたが使ってみると意外と吸水性がいいから不思議である。

River Danube in August 20. (8月20日のドナウ川)Part 9

聖イシュトバーン大聖堂と王宮


さて、家内は水上バスに乗りたいとかツーリスト用バスで回りたいという希望をいろいろと話すが、パンフレットを見た限りでは、どれも出発が10時から11時なのでホテルで朝食をとった後、ハンガリー建国の父、聖イシュテヴァンの名前がついている聖イシュテヴァン大聖堂へと向かう。








ホテルから五分ほど歩くと大聖堂の広場についてしまう。広場には1000個近くのイスが置かれており、この日のための特別説教のための会場が設営されていた。






いざ、大聖堂の中に入ってみると、金で覆われたモダンな内装に驚く。しかし今日はミサの最中で一般観光客は奥に入れないようになっていた。


ミサの様子



それでもわれわれは大聖堂の隅にあるキャンドルを灯して、今日の日を我々なりに祝った。







ここで、まとめておくが、実は8月20日の聖イシュテヴァンの日は、ハンガリーのガイドブックがまったく役にたたないといっていいほど、臨時スケジュールが横行していたのである。特に我々が宿泊するペスト地区からブダ地区への移動は困難を極めることになる。 当然、我々の行動計画も変更を余儀なくされることになる。

例をあげると

ツアリスト用バス:一部通行止め地区があるためルート変更、午後二時以降の便なし。
ドナウ川水上バス:イべントのため休業
地下鉄:国会議事堂の下をとおるM2号線は運休。振替バス輸送があるが、ペスト地区からブダ地区へのサービスはなし。
バス:一部路線変更、あるいはサービスなし
トラム:ドナウ川沿いを走るトラムは終日運休。
教会:終日ミサのため、一般観光客は入場できず。
温泉:午後二時で閉店
橋:くさり橋は閉鎖、前後の橋は閉鎖あるいは、通行規制。

このような状況の中、どうしてもブダ地区にある王宮とその周辺をみたい我々は公共交通機関を利用することを諦めて、タクシーで王宮へと向かうことにした。
運よくタクシーを捕まえたが、ペスト地区とブダ地区を繋ぐ橋は通行規制のため、車は長蛇の列を作っている。我々は通ったエリーザベト橋も例外ではなく、本来5分で到着するであろう距離を30分くらいかけてようやく王宮に到着する。


王宮の前の広場からドナウ川を望むと「国会議事堂」「くさり橋」「聖イシュテヴァーン大聖堂」が一望できる。






今回王宮の前の広場では「民芸祭」というイベントが開催されていた。8月17日から8月20日までハンガリー国内の高品質な民芸品が一同に会しているということである。



我々はこれを物色しながら、ぶらりぶらりと王宮の内部へと歩いて行く。

http://www.nesz.hu/

王宮の広場ではハンガリーの伝統音楽を演奏する団体が小屋を構えて演奏している。ジプシー音楽やケルト音楽を聴くとき私は、バイオリンという楽器がクラシック音楽を演奏するときとまったく違う表情で音楽を奏でることに非常に感心してしまう。奥の深い楽器である。

王宮の中にある歴史博物館を覗いてみる。入場料はブダペストカードを持っているので、無料である。

ただし館内の展示物を撮影するのは有料で、別にチケットを買う必要があるとのことである。我々は特に目的があるわけではないので、見学するだけにする。
博物館内は、3階に分かれており、時代区分によって分かれている。
古くはローマ時代のものから第二次世界大戦までのものが展示されている。
ローマ時代この地域、つまりドナウ川を挟んで東側はゲルマン民族の居住地域であり、ローマ帝国にとってこの地は最前線であった。

そのあと、民族の大移動、オスマン帝国との攻防、ハプスブルグ家の支配、オーストリア・ハンガリー二重帝国、二回の世界大戦で敗北、社会主義国家建設、ハンガリー動乱と常に国際紛争の真っただ中にあった国である。こういう国の国民というのは、タフなんだろうなと感心しながら、展示物を見ていく。

一番魅かれたのは、2階部分に展示されていた二重帝国時代の国王フランツ・ヨーゼフ一世の妃エリーザベトの肖像画群である。彼女はハンガリーでの式典でハンガリー風の衣装を着て登場したりと非常にハンガリーびいきであったため、ハンガリー国民から今でもシシィという愛称で愛されている。顔立ちも美しくスタイルもよかったようだ。ウエストが50cmという話が残っている。 彼女は61歳のときに旅先のスイスでアナーキストによって暗殺されてしまう。

さて、館内をひとめぐりしたあと、ドナウ川に面する城壁の方にいってみると、ここでも特設ステージがたてられ、ここで民族舞踊のコンサートが行われていた。







ハンガリーの民俗衣装は、オーストリアやスイス、南ドイツのものと似ていて私の目には区別がつかないのであるが・・・

続く

Wednesday 29 August 2007

River Danube in August 20. (8月20日のドナウ川)Part 8

8月20日 (1)

前日散々ワインやビールを飲んだにも関わらず、5時半に起きる。

窓から外をのぞくと昨夜半からふりだした豪雨はやんでいるようだ。さっそくひとりで散歩にでかける。家内は寝床から無言で手を振る。

ホテルの外にでると空気はひんやりと冷たい。これはもう秋の空気だなとつぶやきながらくさり橋の方向へと向かう。

くさり橋は今日も通行止めである。




川岸の道は、昨日は歩行者天国になっていたが、今朝は歩行者も通行止めになっていた、また川岸沿いにそって走っている路面電車の路線も通行止めになっていた。


後からわかったことだが、これはこの日に川岸でおこなわれるイベントの準備のために通行止めにしていたようだ。川岸の道路には数十という単位で簡易トイレが設置されていた。





川岸の通りを散歩することをあきらめ、市中の道を歩いて国会議事堂へと向かう。あちこちに見かける木々の葉は、冬にむけての支度をはじめたかのように、緑からオレンジや黄色にと衣替えを始めている。ポロシャツと短パン姿の私とはまったくミスマッチである。



国会議事堂の近くにくると30人くらいの衛兵が馬に乗って議事堂へと入って行くのがみえた。よくヨーロッパでは馬を見かけるが、30頭あまりの馬が行進していくのは、祝典パレード以外のときにはあまり見ることのない珍しい光景だ。




ヨーロッパの中でもここの国会議事堂は建築物として高く評価されているといわれている。たしかにこの議事堂は大聖堂のような威容を持った建物である。





国会議事堂のまわりには、職員や軍関係、警察関係、諜報機関関係の人、掃除婦などがやたらと忙しそうになにかを準備をしている。その横の公園のベンチではホームレスが寝ている。なんとなく奇妙な光景である。 それにしてもこのホームレスの人々は冬場はどうしているのだろうか。






国会議事堂を通り過ぎて、くさり橋より一つ上流の橋までたどりつく。この橋も通行規制がしかれていて、すべての欄干にはハンガリーの国旗が掲げられていた。









その橋からドナウ川の眺めを堪能する。








ドナウ川越しに見る国会議事堂は朝の新しい光りを浴びて神々しいまでに美しい。朝靄のようにボンヤリとした大気と、艀が通行しない川面が鏡のように議事堂を映す景色のすばらしさは、表現する言葉をみつけるのに苦労する。


すでに散歩をはじめてから1時間近く経過していたため、私は、ここで折り返して議事堂の方へと戻って行った。

国会議事堂ではさらに警備の人間がふえていた。SWATチームの制服を着ている人々までいた。今日はここで記念式典があるのであろう、軍楽隊が国歌や行進曲の練習をしているのが聞こえてくる。

ボディチェック用の機械も設置されている。なんとなくものものしい雰囲気がこちらにも伝わる。
ちなみに、国会議事堂の地下を通っている地下鉄M2号線は、昨日から閉鎖されている。テロ対策は万全のようだ。





ふと、横づけされている5台の観光バスが目に入る。スーツケースなどを収容する所が空いていたので、何気なくのぞくとそこには数十丁の軍用ライフルがずらりと入っていた。おもむろに写真をとろうとすると、視線のするどいにいさんがかけよってきて、ニッコリ笑いながら「Nem!」(英語でいうNO)という。そりゃそうだ。軍関係の物資を写真にとらせる親切な軍隊なんて世界中どこ探したってあるわけがない。デジカメを没収されてもかなわないのでスゴスゴと引き返すことにする。

結局、朝の散歩は1時間半におよんだ。



ホテルにもどる頃には太腿も多少疲れている。でもこのくらいのハンデがあって、ちょうど家内といっしょに歩けるというものだ。


毎日1時間以上徒歩している人間と一日300歩も歩かない人間がいっしょに行動をともにするのであれば、このくらいのハンデがあって当然だろう。

Tuesday 28 August 2007

River Danube in August 20. (8月20日のドナウ川)Part 7

At the river side (川べりにて)



ホテルに戻っても部屋に入らずにすぐにホテルの川べりに向かう。
Although we go back to the hotel, again we go out to riverside.




ドナウ川の川べりの道路は封鎖されて歩行者天国のようになっている。
The road along to the river was closed and was made for pedestrian path.

ここにも音楽用のステージと屋台がずらりとならんでいる。

我々はその屋台の横に特設されているテーブルの中でもっとも川の景色が見えるところに陣取って今度はビールとゆでたとうもろこしとパプリカで味付けしたソーセージ(ちなみに英語では「パプリカで味付けをした」という言葉と「ハンガリー風の」という言葉には、同じhongroiseという言葉を使う。それほどパプリカとハンガリー料理は密接な関係にある)を飲み食いしながら、日がくれてくさり橋と王宮の丘がライトアップされるのを待つ。

This place, as same as Hero’s plaza, were filled with temporal shop and concert stage. Among many of tables next to the shops, we occupied a table most close to the river which was very convenient for seeing riverside scene.

We waited for sunset and all architectures to be lighten up, having beer, boiled corn and hongroise sousages. You know, hongroise means “Hungarian style” as well as “Flavored with paprika. So again, paprika is the essential seasonings for Hungarian meal.

ステージからはハンガリーのバンドの演奏が聴こえてくる。素人の感じはしないしっかりとした演奏だ。
ハンガリーの建国記念日にハンガリーの首都のそれもド真中で開催されるイベントに出場しているくらいだから、きっとハンガリーでは有名なプロのミュージシャンなのだろう。

A band music was heard from concert stage. They performed really good music. I assume they must be Hungarian famous professional musician. Otherwise no one cannot play on the day of national foundation at very centre of the capital city.



日がくさり橋の向こうに傾き、淡いピンクの西の空にくさり橋のシルエットが浮かぶ。
The sun had sat over the chain bridge and its silhouette came up from light pinkish sky.






そしてブタ側の建物からポツリポツリと明かりがともり出す。

そして序々に王宮、橋がライトアップされていく。三日月というには、ちょっと太りぎみの月が王宮の上空に輝く。美しく、荘厳な風景である。

Then lights started to lit up from buildings of Buda side.
Then light up started to Royal palace, then chain bridge… Fat crescent was flowing above the royal palace… We stunned the marvelous landscape in front of us.





我々はこの風景を心ゆくまで満喫したあと、ホテルにもどり、8月19日を終えた。 深夜、これまでの借りを返すかのように、激しい雷がとどろき、と強い雨がホテルの窓をたたき続けていた。

After enjoying that heavenly view, we went back to the hotel. The end of the day.
In the midnight, I could hear loud thunder lightnings and strong raindrops banging the window of our room.

Part 8 巡礼 (コンスタブル賛歌)Pilgrimage (Homage to Constable)

A Grave (墓)

最後に、私はコンスタブルの眠るロンドンのハムステッドにある聖ヨハネ教会にいきました。

ハムステッドのとある教会に勝手に車を乗り入れ、うろ覚えへの知識で町を歩きます。何人かの人に教会の場所を尋ねましたが、どれも違う教会でした。(なぜ西洋人は知らないときに知らないといえずに、適当な答えをしたがるのだろう?)。
最後に買い物にいくためでしょうか家からちょうどでてきた老夫人に場所を聞いたところ、きちんと教えてもらうことができました。

いくつかの通りをぬけていくと、赤いレンガでできた小さな教会が現われました。
そして教会の裏手には100m四方のお墓が広がっていました。その本当に隅の方に彼の最愛なる妻と葬られた墓があったのです。だれにもさわられないように鉄格子がはめられた墓には夏草が生え放題というありさまでした。


生前、イギリスでは彼の作品は20枚しか売れず、フランスで人気を博した彼でしたが、「金持ちのよそ者でいるよりも貧乏人でいたい。」との言葉通りに故国でその人生を全うすることになったのです。


私は墓の前でしばらく手をあわせ、その場を去りました。




Finally, I went to St. John church in Hampstead to see John Constable’s cemetery.
I parked my car in yard of a small church, and started to look for the church. I asked several people where the church but all of them answered me wrong place. (Why Western people cannot say “I do not know” when they are asked the thing they do not know?)
Finally, An old lady just came out from her house for shopping could advise me exact place of the church.
Passing a couple of streets, there are small church built with red bricks. It has cemetery of 100 squire meters backside.
In very corner of the cemetery, there was a grave of John Constable.
A grave was surrounded by iron grid and summer grass was growing around there.
Only around 20 pictures were sold in England in his lifetime. But he refuse to go to France in order to promote his works. He said "I would rather be a poor man [in England] than a rich man abroad."

Monday 27 August 2007

River Danube in August 20. (8月20日のドナウ川)Part 6

ワインビレッジ (ワイン祭り)

さて、お腹もおちついてリラックスしたところで、市民公園で開催されているというワインヴィレッジというフェスティバルへと向かう。ホテルの近くの地下鉄駅からM1地下鉄にのること15分で市民公園に到着する。

ブダペストの地下鉄は地下の非常に浅いところに作られている。入口から20段くらいの階段をくだるとそこは、すでに地下鉄のホームのレベルである。だから地上と地下鉄の天井の厚さはせいぜい数十センチといったところだ。






しかも改札がない。





チケット売り場で切符を買った後、自分でパンチをする機械に切符を通すだけだ。つまり「これをやらないとその先にいけない」というシステムがない。出口も同様だ。極端にいうと、誰でも勝手に地下鉄に乗降できるシステムである。ちょっとした隙をみつけてはズルをしたがる日本人や中国人には考えつかないしくみである。
西洋では性善説にたってシステムを構築しているが、ハンガリーのこのシステムはそこからさらに逸脱しているように見える。これは社会主義時代と何らかの関係があるのかもしれない。


さて、地下鉄の階段をのぼると目の前には英雄広場というブロンズ像がたくさんある広い広場にでる。この日はこの英雄広場にイベント用に舞台がつくられていた。






この広場の右手にいくと、沢山の屋台がならぶ特設会場にぶつかる。これが我々のめざしていたワインビレッジというワイン祭りの会場だ。会期は8月20日までだからこれも建国記念日に合わせてのイベントということになる。

2000フォリント(1600円)の入場料をはらうと、腕に白い紙の腕章をつけられ、さらにワイングラスが手渡される。



会場内には50以上の屋台がでており、そのほとんどがワインを出している。ここではテイステ用ということでグラス一杯単位で売られており、お金を払うと手渡されたグラスにその分をいれてくれる。もちろん、ボトル単位でもその場で売ってくれる。屋台にとりかこまれるように、会場の中心にテーブルとステージが設置されている。




時間はまだ四時をまわったところ。空は雲ひとつなく晴れ渡る。ステージではワイン醸造者のワインコンテストをやっている。


さて、ここで我々はハンガリーワインとして有名なTokaji ワインを味わうことになる。
Tokajiワインとは、ハンガリーのTokaji地方で作られる特殊なワインで、葡萄につく特殊な細菌によって非常に甘味の強いワインができる。貴腐ワインといわれているものだ。フランス王ルイ14世が「ワインの中のワイン,王様のワイン」と絶賛し、愛飲したものである。

テイスト用で安いもので200フォリント(120円)、高いものでは3,000フォリント(1800円)くらいなので、高いものを選んで2,3杯飲んでみる。






たしかにおいしい。香りがやわらかで味もきつい甘味ではなくマイルドな甘味である。これをパエリャ鍋のおばけのような巨大な鍋で焼いた鶏肉とザワークラフトと一緒に味わう。



こちらは庶民的な味である。このアンバランスなコンビネーションがまたいい。これはもう、天国というか極楽というか・・I could die!の世界である。

まだ日が高いので、テーブルもまだ閑散としていたが、日がくれるとこのテーブルも人々で埋まって、さながらドイツのオクトーバーフェストのような酒池肉林の世界になるのであろう。
かなりまったりモードになったところで、我々は会場を後にして、ふらふらと公園をほっつき歩いた後、ホテルへともどっていった。

続く

Part 7 巡礼 (コンスタブル賛歌)Pilgrimage (Homage to Constable)

Dedham Church (Dedhamの教会)





Constableの絵画に遠景のシンボルとして登場するDedhamの村に行きました。
メインストリートには、パブが2件とスーパーマーケットが1件あと、小さなお店が数件という本当にちいさな村です。
そして、メインストリートにそって、この村の規模に対して不釣り合いなほど大きく高い教会が建っています。
人通りが少ないメインストリート、やわらかい夏の午後の日差しが静寂な空間を作っていました。

I visited to Dedham village that Contable often had drawn its church in his work.
This village is very small, there are only two pub and one supermarket and a couple of small shop on the main street.
And along to the main street, the big and tall church is located. This church seems to me very unbalance with this small village.
Quiet main street and softy afternoon summer sunshine make silent space.

He visitado al pueblo de Dedham, donde Contable había pintado sus iglesia en sus obras.
Es muy pequeño. Hay solamente dos bars, un supermercado, y unas tiendas pequeñas en la calle central.

Friday 24 August 2007

Part 6 巡礼 (コンスタブル賛歌)Pilgrimage (Homage to Constable)

View on the Stour near Dedham

Flatford millのあるStour側から隣町のDedhamを眺めた風景です。当時イギリスは造船ブームでほとんどの木は造船のために伐採されました。そのためものすごく遠いところまで眺めることができました。造船の材料として木材を使わなくなった現在ではそこにあらたに木々が育ってきたためconstableの絵のようにDedhamの教会は視界に遮られてみることはできなくなってきています。もちろんDedhamの方向へ少し歩くとこんもりとした木々の間から教会をみることはできますが。


This works shows the landscape from Stour river to Dedham valley.
At that time, Most of the trees on the land were cut for battleship building. Therefore, the perspectives were very clear because there were few obstacles.
However, now you cannot see Dedham church from the standpoint where Constable works. You have to walk towards Dedham a little bit to see the church.

Esta obra muestra la vista de Dedham desde el rió Stour.
En aquella era, casi todos árboles en Inglaterra se habían cortado para construir los acorazados. Por eso, se veía las cosas estaban tan lejos. Pero ahora tienes que andar un poco hasta Dedham pueblo para ver la iglesia de Dedham.

这工作展示风景从Stour河到Dedham谷。
那时,大多树在土地为战舰大厦被切开了。 所以,因为有少量障碍,透视是非常清楚的。
然而,您不能现在看Dedham教会从立场。 您必须走往Dedham 一点看教会。

River Danube in August 20. (8月20日のドナウ川)Part 5


さて、ドナウ川べりのホテルに到着する。予約したホテルは川が見渡せる部屋ではないため、四星にもかかわらずかなり良心的な値段である。これが川が見渡せる側だったらおそらくその4倍くらいはとるんじゃないかと思う。それくらいの価値はある。いずれにしてもホテルの窓からは、となりのホテルの改装のためにつかわれているクレーンだけである。

ここで、簡単にブダペストの地理を説明しておこう。ブダペストはドナウ川を挟んで、ブダ地区とペスト地区にわかれている。
ブダ側は小高い丘になっていて、王宮などの観光スポットがある。そしてペスト側が平坦な土地で商店街、市民公園があるという形になっている。
このふたつの地区を世界遺産にも指定されている「くさり橋」をはじめとした3,4つの橋で繋がっているという構図になっている。この都市構造は、プラハとすごく似ている。

さて、我々はまずホテルでブダペストカードなるものを購入する。
これは48時間と72時間有効のふたつのバージョンがあるのだが、3000円程度でその時間内の公共交通機関は乗り放題、美術館・博物館もほとんどのところは入場料が無料、あるいは割引になるというおとくなカードである。
しかもこの国では乗継の切符というのがなく(あるかもしれないが、ハンガリー語ができない観光客にはほとんど使いこなせないだろう)ので、オールマイティーなこのカードは重宝する。


まず我々はホテルの目の前にある「くさり橋」を見に行く。ところがこのくさり橋は通行止めになっていた。おそらく明日のイベントのための準備のためなのであろう。(この事実が翌日我々の行動をことごとく制限することになるのだが)
しばし眺めた後、橋のたもとにある簡易なレストランでまず一息つくことにする。私はハンガリーのビールを頼み、家内はグヤーシュというハンガリーの名物料理をたのんだ。

グヤーシュというのは牛肉・豆・野菜などをパプリカで煮込んだスープである。素朴な味わいがなんともいえない。ハンガリーではほとんどの料理にパプリカを使用する。我々はこれ以降も中毒になったかのようにパプリカ入りの料理を食べ続けることになる。