遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (4)
白い花をつけた麦畑の横を胡桃の木の並木道が見る者の視線を奥へと引き付ける。その向こうには青緑がかった森、さらにその奥にサンヴィクトール山が朝の光をあびてまどろんでいるかのような表情をみせている。
笑ってしまうほど完璧な構図だ。
本当ならここでイーゼルをすえて、2,3時間油絵を描きたいところだが、そこは絵を描かない家内との旅行なので、7分くらいで簡単な水彩スケッチをするだけにとどめる。やはり絵を描かない人との旅行で絵を描くのは基本的にはご法度だ。長い間連れ合いを放っておくのは、夫婦喧嘩のモトである。そして夫婦喧嘩になった場合に、こちらには勝ち目がない。勝ち目がない戦いはしないというのは、幸せに生きるための万国共通のコツだ。夫婦喧嘩から国家間闘争までなんら異なるところはない。
そういうことで今回の旅行でも、この絵を含めて3枚、しかもはがきサイズの小さいものを描いただけである。 これも家にもどれば、数日中に家内の友人へ送る絵葉書として手元には残らないという運命をたどるのではあるが・・・。
サンヴィクトール山は、山というよりは隆起した岩の塊のようなもので、そのむき出しの岩肌は、太陽の動きにしたがって、不規則な影をつくっていく。 春のやわらかな日差しの中ではやさしい表情を、夏や冬の強い日差しの中では厳しい表情をする。そこがかの画家セザンヌを魅了したところではないだろうかなどとと考えながらスケッチをしていく。
スケッチの間、聞こえてくるのは梢を通り過ぎるやわらかな風の音だけである。
スケッチを終えて、ふと横をみるとなだらかな丘にブドウ畑が広がり、その向こうに農家が見える。そしてそこからは何かを燃やしているのだろうか、煙がゆらゆらと立ち昇っている。
優しいひざしの中で、100年前にタイムスリップしたような感覚をおぼえる。セザンヌも同じ空気を吸い、同じ光を浴びながらヴィクトール山を描いたのであろうか。
春は人知れずやってきて、人知れず去っていく。
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