にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ Somewhere but Here: 遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (19)

Sunday, 14 October 2007

遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (19)

ウフィッツィ美術館にて

見学客の中には日本からのツアー客が含まれていて、こういった人たちはツアーコンダクターの解説に耳を傾けながらピンポイント的に進んでいく。

ウフィツィ美術館には、ボッティチエリの「ヴィーナスの誕生」「春」、今は東京国立博物館に展示されているダヴィンチの「受胎告知」、ティッチアーノの諸作品などイタリアルネッサンスを代表する作品が収蔵されている。




美術館から望むヴェッキオ橋

これらをピンポイント的に美術書などで見る機会はあったが、こうして中世時代の絵からルネッサンス時代の作品へと時代を追ってみていくと、いかにボッティチェリの「ビーナスの誕生」や「春」が発表当時、革新的でトンデモな作品だったかがひしひしと感じることができる。






  そういう意味ではピンポイント的に一部の作品の解説を聞きながら観覧するのは、美術館を見る魅力が半減させることになる。

ルネッサンス以降の世界、ピカソなどの前衛的な作品もすでに知っていて、描きたいものは何でも描ける時代にいる我々はともすると、中世時代、キリスト教が世俗世界の行動規範であり指導要綱であった時代は、絵画の題材として許されていたのはキリスト関連の絵だけだったということを忘れがちである。

聖書にある物語を画像化したものだけが絵をして認められていた。

そして古代ローマの神であったヴィーナスやバッカスといった神々は異教の神、人を誘惑する悪魔としての存在でしかなかった。
そんなヴィーナスやバッカスなどの古代ローマの神々をボッティチェリは、画題として復活させて堂々と大画面に表現したのだから、これはとんでもないことだった。
こういう前提の説明をなしにルネッサンスの絵をみても単に「教科書で見たことがある」で終わってしまう。

ツアーコンダクターならこういう部分もきちんと見学者に説明してほしいと思う。どうしてもツアーコンダクターはイタリア在住ならイタリアだけの勉強しかしないから、解説が表面的で面白みがない。もっともそんなところにケチをつけるような私のような人間ならそもそもパックツアーには参加しないのだろうが・・・。

ある展示室に、ドイツルネッサンスの巨匠クラナッハとオランダルネッサンスの巨匠デューラーのそれぞれのアダムとイブの作品が同時に展示されるという心憎いレイアウトの場所があったのだが、そこを日本人見物客をひきつれたツアーコンダクターが、フィレンツェ建設の歴史が描かれた凡庸な天井画を説明しただけでさっさと通り過ぎていった。

これには顎がはずれた。

何年イタリアに住んでるのか知らないけど、美術館を案内するなら、もっときちんと勉強してよね。ツアコンさん。

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