遥かなるトスカーナ、静かなるコートダジュール (27)
ラベル:
コートダジュール・トスカーナ
モナコ
この日の宿泊予定はカンヌである。最後まで決まらなかった最終日の宿泊地だが、この旅行の「出発直前に映画Mr. Bean’s Holidayを見てあっさりカンヌに決めてしまった。
この日の宿泊予定はカンヌである。最後まで決まらなかった最終日の宿泊地だが、この旅行の「出発直前に映画Mr. Bean’s Holidayを見てあっさりカンヌに決めてしまった。
我々はある部分ではものすごく単純な思考回路をしているのだ。
カンヌもイタリア国境から100kmも離れていないコートダジュールに位置する街だ。もちろん映画祭で有名。あとは予備知識まったくなし。
カンヌもイタリア国境から100kmも離れていないコートダジュールに位置する街だ。もちろん映画祭で有名。あとは予備知識まったくなし。
イタリア国境を超えたのが11時ちょっと過ぎだから、到着は午後でも大分早い時間になってしまう。どうせだからついでというわけでモナコに立ち寄ることにする。こちらもカジノの街だということと、くねくね歩きをするおじさん(デューク更家?)が住んでいる(後で確認したら彼の家族が住んでいるということだった)というこれまたお粗末な話だ。
A8高速道路からモナコへの出口をぬけるとやたらとくねくねした下り坂になる。細心の注意を払いながらハンドルを操作する。前を走る車はランボルギーニ、すれ違う車はポルシェ、マセラッティ、フェラーリ・・・いったいどんなところだ、ここは!
坂道の途中で駐車できるくらいのスペースを見つけ、そこに車を止めて眼下に目をやる。モナコは断崖絶壁の地形のところにピンク色の屋根の家が張り付くように密集している。そして中心部と思われるところには、高層ビル(ホテルかマンションかはわからない)が林立している。この高層ビル群がコートダジュールのほかの街と一線を画しているといえる。あいにくの曇り空だが、遠目にはヨーロッパのどこの街よりも群を抜いてソフィスティケイトされたその風景に、異様さすら感じる。
カーナビだよりで市街地図を持たない我々はとにかく坂道を下るだけ下って、めくらめっぽうに車を走らせる。するとなぜかうまいことに一番大きなカジノハウスの横の駐車場に空きを見つけて車を滑り込ませることができた。日曜日ということでさほど混んでいないことが幸いしたのだろうか。
車を下りてまず街を散策してみる。ここは、ヨーロッパとはまるで違った雰囲気がある。道路に駐車している車種からして違う。
フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ、ベンツ、マセラッティだ。ルノーもプジョーもシトロエンもほとんど見かえることができない。
歴史の香りがしない。そして即物的で享楽的だ。そして異様に綺麗だ。ゴージャスといってもいい。完全に人間によってコントロールされている気配を感じる。
車を下りてまず街を散策してみる。ここは、ヨーロッパとはまるで違った雰囲気がある。道路に駐車している車種からして違う。
フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ、ベンツ、マセラッティだ。ルノーもプジョーもシトロエンもほとんど見かえることができない。
歴史の香りがしない。そして即物的で享楽的だ。そして異様に綺麗だ。ゴージャスといってもいい。完全に人間によってコントロールされている気配を感じる。
ラスベガスから、子どもじみたファンタジー要素をとっぱらってギューっと圧縮したような街だ。カジノで食べているんだから当たり前の話だろうけれど・・・
崖の上から見たビルは地上からみると思ったよりも高い。ヨーロッパでは本当に一部の地区を除いて高層ビルを建てられないところが多いから、この摩天楼は新鮮にさえ映る。
海側にでてしばらく散策してみる。海といっても砂浜があるわけではない。コンクリートでできた建物の屋上部分を歩いているだけだ。そこには、花壇があり20世紀の彫刻作品がならんでいる。
今にも雨が降りそうというわけでもなく、これから晴れそうな雰囲気もない。中間的な曇り空とでもいっていいのだろうか。海の色もブルーグレイだ。ほんの少しの風でも肌寒く感じてしまう。
日本人観光客がパシパシ、デジカメのシャッターを切っている。
冷やかしでカジノを覗いてみる。写真を撮ろうとしたらボディガードにやんわりと注意される。我々はすごすごと退散する。ギャンブルする気がないのだから、それ以上いる意味がないしね。
街を歩いている人は意外にも家族連れが多い。ラスベガスに行っても思うのだが、いったいどういう人たちが家族づれでこんなギャンブルの街に遊びにくるのかよくわからない。
私はカジノのギャンブルはやらないことにしている。
理由はただひとつ。
「勝てない試合にでてどうするのよ。」
たまに勝たせてもらえる人もいるようだけど、絶対に勝てないしくみになっている。ブラックジャックだって、ルーレットだって、スロットマシーンだってすべて胴元が勝つようにできている。そこには偶然性のはいる余地はない。科学的、数学的、統計的に彼らが勝つようにできているのだ。(細かくかくと長くなるのでやめておくが)それを知らないでギャンブルに興じている姿は痛ましくさえ思う。
なぜみんな夢中になるのかよくわからない。とにかく、お金をゴミ箱に捨てる行為としては時間がかかりすぎる。50ユーロでギャンブルするくらいなら素直に50ユーロを街角のゴミ箱に捨てたほうが時間の無駄がなくていい。
そそくさと車に戻り、カンヌへ向けてカーナビを設定して発進する。今にも崩れそうな不気味で長いトンネルを抜けてA8高速道路に戻る。ということであまりモナコにはいい感想がない。まあ、それでも「今まで行ったことがある国」が一つ増えたことにはなる。二度といかないと思うが・・・
崖の上から見たビルは地上からみると思ったよりも高い。ヨーロッパでは本当に一部の地区を除いて高層ビルを建てられないところが多いから、この摩天楼は新鮮にさえ映る。
海側にでてしばらく散策してみる。海といっても砂浜があるわけではない。コンクリートでできた建物の屋上部分を歩いているだけだ。そこには、花壇があり20世紀の彫刻作品がならんでいる。
今にも雨が降りそうというわけでもなく、これから晴れそうな雰囲気もない。中間的な曇り空とでもいっていいのだろうか。海の色もブルーグレイだ。ほんの少しの風でも肌寒く感じてしまう。
日本人観光客がパシパシ、デジカメのシャッターを切っている。
冷やかしでカジノを覗いてみる。写真を撮ろうとしたらボディガードにやんわりと注意される。我々はすごすごと退散する。ギャンブルする気がないのだから、それ以上いる意味がないしね。
街を歩いている人は意外にも家族連れが多い。ラスベガスに行っても思うのだが、いったいどういう人たちが家族づれでこんなギャンブルの街に遊びにくるのかよくわからない。
私はカジノのギャンブルはやらないことにしている。
理由はただひとつ。
「勝てない試合にでてどうするのよ。」
たまに勝たせてもらえる人もいるようだけど、絶対に勝てないしくみになっている。ブラックジャックだって、ルーレットだって、スロットマシーンだってすべて胴元が勝つようにできている。そこには偶然性のはいる余地はない。科学的、数学的、統計的に彼らが勝つようにできているのだ。(細かくかくと長くなるのでやめておくが)それを知らないでギャンブルに興じている姿は痛ましくさえ思う。
なぜみんな夢中になるのかよくわからない。とにかく、お金をゴミ箱に捨てる行為としては時間がかかりすぎる。50ユーロでギャンブルするくらいなら素直に50ユーロを街角のゴミ箱に捨てたほうが時間の無駄がなくていい。
そそくさと車に戻り、カンヌへ向けてカーナビを設定して発進する。今にも崩れそうな不気味で長いトンネルを抜けてA8高速道路に戻る。ということであまりモナコにはいい感想がない。まあ、それでも「今まで行ったことがある国」が一つ増えたことにはなる。二度といかないと思うが・・・
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